
先日、いつものように取り込んだ洗濯物をたたんでいる時に
夫の肌着やパンツ、子供の肌着がすべて裏返しになっていることに気付いたんですよ。
私がいっつも全部わざわざ表に返してるやん!と。
ほぼ全部って倍の手間かかってることになりますよね。
効率厨の私としては、一度気付いたらもう見逃せません。笑
で、夫にタイミングをちゃんと見計らって伝えてみたんですよ。
(仕事に行く前でもなく、夜でもなく、お休みの昼間)

洗濯物の肌着なんやけどさ、みんなの分いつも裏返しになってるねん。
全員分オモテに返すのけっこう手間かかるし、
完璧じゃなくてもいいから表向きで洗濯カゴ入れてくれたらめっちゃ助かる〜
付け足しで



それか私が裏返しのままタンスに入れさせてもらって、着る時に自分で裏返してもらうか
と責めないよう世間話のように伝えました。
すると



あっ、わかった〜
って言ったんですよ。
確実に「わかった」って!!
そして翌朝、洗濯物を干していると子どもたちの分は表側になっていて(子供にもいちおう言ってみた)
「やっぱり助かるわ〜♪」
なんて思っていたらですね…
夫の分、ぜーんぶ裏返し!!
な、なぜ…。
私の頭の中はハテナでいっぱいになりました。
でもその後のわたし、今までとは同じ感情→行動をたどらなかったんですよ。
その結果、いい気づきを得られたので今日はシェアします。
普段、たくさんの「〜べき」思考にとらわれがちな人は、ぜひ最後まで読んでくださいね。
夫に対してたくさんの「何で?!」があった私
さて、夫のすべて裏返しになった肌着とパンツを見て私は



これは、、、細かいこと言った私へのあてつけか?!
とまずは思いました。笑
さらに



「俺は外でしんどい思いして仕事してるんだから、洗濯物くらいたたんでくれたらいいだろ」って思ってるんじゃ?
と勝手な想像を膨らましました。
その時点では少しの「イラっ」と、「私の器が小さいのか?」という2つの気持ちでのせめぎ合い。
いつもなら「そっちの方が器が小さいんじゃい!」と【怒り】の方が結局は勝利して、再度同じことを伝えてたと思うんですよね。(確実に嫌味っぽさを含んで 笑)
でも、今回は



いやいや待て、もうちょっと様子を見よう
と思いとどまることができました。
裏返しのままタンスに入れておいたら、夫が「そういえば表向けてって言ってたっけ?」と気付くことも期待してみましたが全然そんなこともなく。笑
その後も相変わらずほぼ裏返しで、たまーに気まぐれに表向き。
私も段々、



別に本人はいいんだな。何てことないことなのか…
と思い始め、何だか気が楽になった気がしました。
それは、肩の力を抜いていいんだよと私自身を許すことでもあったんです。


自分を許すのが苦手な人は、他人を許すのも苦手
自分に対して許すのが苦手な人は、他人に対して「許せない」「何で?!」と怒りがわいてくることが多いです。
表面では許しているフリをしていても、です。
今回は洗濯物というささいなことだったんですが、
気にしいさんはネガティブな感情をストレートに出せないからこそ、心の中でジュクジュクと膿んでしまいがちじゃないですか?
近しい人には顕著で、見知らぬ人でも非常識な人に出会うと怒りの感情が湧き上がってきたりします。
つまり「自分がちゃんとしてるから、相手もそうするべき」という認識があるということ。
考えてみたらそれって、気にしいさんには一見縁がなさそうな横暴な押し付けともいえます。
自分への「〜べき思考」をゆるめていく
押し付けちゃいけないってじゃあどうすればいいの?となりますが、ポイントは2つあります。
まずは自分に「本当はどうしたいの?」と聞く
腹が立つ、イライラするなどの感情の裏には、自分の本音が隠れている場合が多いです。
自分が好んでやっていることなら、相手のことなんかおかまいなしに「この方がいいのは私なんだから、自分がやろう」となるはず。
でも、「くわっ!」と目くじらたててしまうのなら、その「〜べき」そこまで守らなくていいものかもしれません。
今までは許せなかったことを、試しに許してあげる。
そうすることで「じゃあ私だって完璧にいかないことがあっても許してあげていいか」と段々思えるようになってきます。
または、今回の私のように「主婦である自分を軽んじられている」と思ったとしたら、
本当に相手はそう思っているのか?
そもそも、自分が【主婦】にどういうイメージをもってるのか?
を考えてみたときに、自分が抱いているコンプレックスに気付くこともあります。
相手には相手の事情がある
そして、
相手には相手の世界、事情がある
ということ。
例えば、3分の遅刻で怒り狂ったとしても、沖縄であれば約束の時間からシャワーを浴び始めるなんてこともザラなんだそう。
だから、遅刻していいという話ではなくて、どんなことでも完全なる正解不正解はないということ。
自分の世界は、自分が思っているよりも小さくて限定的かもしれないと思いをめぐらしてみる。
すると、少しはなれたところから自分を客観的に見ること(メタ認知)ができます。
誰だって得手不得手も、価値観もちがい、コンディションが悪いときもある。
お互いの世界を認めるほど、自分を重くしている「〜べき」思考を手放すことができます。


というわけで、今日は
人を許すことで自分の「〜べき」もゆるめていこう
というお話でした。
私は最初、夫の洗濯物が裏返しのままだったことを「あてつけか?!」なんて思いましたが、全然ちがっていました。
たぶん着る時に表に返してるんでしょう。笑
相手の反応は必ずしもこちら側と関係があるわけじゃない。
夫へは再度お願いすることもなく、裏返しのままたたんでタンスに入れています。それで夫婦円満です。笑
以前は裏返しのままにしておくなんて許せなくて、ムカムカしながら表に返していたはず。
ぜひ、あなたもなくしてもいい「〜べき」はじゃんじゃん外していきましょう。
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