ご訪問いただきありがとうございます。
はじめまして、気にしいさん専門サポーターのかわしまあきこです。
私が掲げているテーマは、”「私」でいけば今度こそうまくいく”です。
なぜ、私が
「気にしいさん専門サポーター」として活動することになったのか。
きっかけになったのは
コロナ渦と、娘の不登校でした。
私はリアルでもネットでも、
他人の目が過剰に気になるタイプ。
表面上は上手くこなせたとしても、
いつも心がすり減っている感覚がありました。
そして
「根性があればもっとできるのに」
「私はみんなよりなんてダメなんだろう」
「でも、人前に出るのはこわい」
「だって私はそういうポジションだから」
と自分責めをくり返しては、
パワフルで動じない人にあこがれていたんです。
幼少期、学生、社会人、子育て期、ずーーっとです。
そんな私に転機が訪れました。
繊細気質な娘の不登校です。
親子ともにボロボロになりながら
必死で不登校と向き合うにつれて
「気にしいな自分はダメだから、
ちがう何者かにならなければ」
「いつもポジティブで
パワフルな人にならなければ」
と思っていたのが、
「気にしいなままでもいいんだ」
「強みをいかせばいいんだ」
ということに気付かせてもらったんです。
一気に目の前の霧がパァ〜っと晴れたような気分になりました。
外へばかり答えを求めていたけど、私でよかったのか
と。
それからは、昔から好きな分野であった
心理学、脳科学、ジャーナリングなど
さらに学びを深め、日々実践しています。
別の誰かになりたい、ならなくてはと
追い求めていた時は上手くいかなかったことが、
自分の気質や、大切なものを知り
それをまるっと受け入れてからというもの
散り散りだった点と点がつながったが如く
毎日がスムーズに流れるようになりました。
今でも悩むことはありますが、
別の何者かになりたいともうありませんし、
気にしいな自分も愛おしく
何ならいい方へ使い倒しちゃうぜーくらいに思っています。笑
今では、過去の私のような
そのままでいいことに気付かずに、
自分を責めまくっている
そんな人の力になりたいという思いで
気にしいさんに特化した発信や講座の主催をしています。
ここから先はもう少し詳しく、
わたしが自分責めのループから抜け出し
気にしいさん専門サポーターの仕事をするに至るまでの歩みをお話しします。
ここまでで少しでもピンときた方は、
ぜひ続きを読んでみてくださいね。
わたしが歩んできた人生
すでに立ち位置を感じていた幼稚園
兄2人をもつ末っ子として大阪で生まれます。
3歳までは運動神経バツグン、快活。
2歳で補助輪なし自転車を乗り回し、
ブランコが1回転しそうになって落ちたこともあります。笑
ですが、幼稚園に入ってからは
かわいいキラキラした目立つ女の子グループの存在が。
兄やその友達とやんちゃに遊んでばかりいたので、
女の子のかわいい雰囲気におされどんどん大人しくなっていったようです。
素敵な木のおままごとセットがあって
ずっと遊んでみたいと思っていたけど
いつもその子たちが遊んでいて
なかなか前へ出ていくことができず…
結局ただの一度も遊んだことがありませんでした。
遠くから羨ましい気持ちで
眺めていた視界が今でも残っています。
卒園前に何人かのグループごとに
インタビューテープを録音したんですが、
ほぼ目立つグループが話していて
私はたまにポツリポツリと話しているだけ(それもかき消され気味 笑)
この頃すでに、「私は後ろにいるタイプなんだな」と
漠然と感じていました。
小学生でぽっちゃり外見コンプレックスが確立
スイミングを習い始めるも
当時20代そこそこの若い男性コーチが
お気に入りのかわいい子たちだけまわりにはべらせて、
他の奴らは勝手にやれみたいな感じでした(今思えば大問題すぎる!)
「あ〜やっぱりかわいくないと世の中ダメなんだな…」
と、絶望的な気持ちでした。
自分の外見コンプレックスを加速させた一番の出来事だと思います。
この頃からまわりの顔色を伺うようになります。
3〜4年生頃からはポッチャリ。
兄とともにやっていたソフトボールでは
ほぼ見た目だけでキャッチャーに任命。
この頃はもう自分が女子であることをあきらめていました。
「男子ちゃんと掃除しいやぁ〜!」のあのキャラです。笑
絶叫マシーンのっても、ビックリしても
自分みたいなのが「キャー!」とか似合わないと思い
いつしか高い声の出し方がわからなくなるという…
投げやりになっていたので、男勝りキャラは小6まで続きます。
でも、クラスの女子の中では中立グループ。
担任の先生から二台派閥の仲裁をたのまれたこともありました。笑
男子には意見や注意をズバッと言えましたが
その時に言われた「デブ!」という言葉が
今でも心にずーーーーっと残ってます。
(普通体型になってからも自分はデブだという思いが根強くある)
やんちゃにふるまいながらも、
「身の程」「身の丈」というものを常に意識しているような小学生でした。
中学でテニス部に入るも気にしいで苦戦
新たな中学校生活へのあこがれもあり、
中学に入ってからは男勝りは鳴りを潜めひっこみ思案に。
思春期特有のまわりを意識し始め、
くせ毛コンプレックス、外見コンプレックスが強固なものになりました。
中学ではソフトテニス部に入部。
テニスにはものすごくハマって、
重しにボールとゴムがついている
一人で打ちっぱなしができるというアイテムをゲットし、
テスト勉強がんばったら15分家の前でテニス!
とご褒美にするくらいでした。
でも、やっぱり外見コンプレックスが強く、
オドオドしてうまく話せない。
可愛げもないので、
先輩たちにも特に気に入られることもなく萎縮するばかり。
そして、ラリーをするペアの同級生が、
ちょっとでも打ちにくい球を返すと
目に見えてキレる子だったんですよね。
(ラケットでボールをバーン!と地面に叩きつけたりする)
ラリーの時には常に顔色を窺いビクビク。
次第に誰かと打ち合いをする時には
手足がバラバラちぐはぐな感覚になって、
満足にボールを打つことも難しくなりました。
どれだけ素振りをしていても、
相手がいるだけで手首が固まるような違和感で
ネットにかかったりホームランボールになってしまうのです。
ものすごく神経を使って
コントロールをギリギリ保てるような状態。
弱々しいボールしか打てず、
毎回冷や汗までかくようになりました。
(最近知ったんですけど、これは「イップス」という精神的な症状で野球やゴルフでもあるみたいです。)
でも、顧問のノックや試合では、
際どいコースへ打ち返すのは得意だったんですよね。(相手を気にしなくてよかったから。)
幸い、試合のペアはやさしい子で、試合は強い方でした。
結局中3で引退するまで、
ギリギリへなちょこ球でラリーを保ちました。
毎日の部活は体力的にもですが
それを上回って精神的にしんどかったです。
そんな中、中学2年の頃に
当時流行っていたMr.Childrenにハマり、
ベースギターを独学で始めます。
「バンドやらない?」と声をかける勇気もなく、
ただ一人黙々とCDに合わせて単独練習をしていました。
(ギターではなくベースなのに一人で地味過ぎる!笑)
テニスもベースも一人練習がいちばん楽しい時間でした。
テニス克服できず高校は帰宅部 興味は内へ内へ
体験入部でもイップスは克服できず、テニス部は断念。
軽音楽部に入ろうと思いましたが、
先輩方の雰囲気が苦手で結局帰宅部に。
クラスでは目立つかわいいグループの中にいる、地味な子ポジション。
外見コンプレックスや気にしいに拍車がかかり、
移動教室で他のクラスの前を通っていくときも、
髪型や歩き方が変じゃないかと気にしていました。笑
そのくせ、ピアスをあけたり、髪にネイビーのメッシュをひそかに入れたり。ファッションで自尊心を保っていたのかもしれません。
(バンドできてないくせに、心はバンドマン。笑)
小学生の頃から日記や手帳をずっとつけていて、今思えばずっと常に内観することが当たり前になっていたと思います。
「どうして私はこんなにも意気地がないんだろう」
「どうしてみんなみたいに社交的にふるまえないんだろう」
と胸の中に重苦しいモヤモヤを抱えていたこともあって、進路を考えたときに心理学方面が気になります。
でも、調べ方がまったく足りず、「心理学は実験実験の理系なんだ!」と思い込み、文系コースだった自分は早々にあきらめてしまいました。
動かない系ベーシスト バンドに明け暮れた大学生活
結局、大学は人文学部へ進学。
念願のバンドサークルへ入部。(夫とはここで出会います)
ここで中学の頃からあたためていたバンド熱が爆発!かけもちで何個もやるほどに、バンドに明け暮れた日々。
でも、やっぱり気にしいは変わらず、「私の動き変じゃない?」と人目が気になり動かない系ベーシストに。笑
たくさんライブをしたり、夫との交際が始まったこともあり、
初めて自分の存在を認めてもらえたような、居場所ができたような感じがして感動していました。
気にしいは相変わらずで、心身の動きを追求するようなゼミに入ったのに、自分の体や心の動きへの気付きや気になっていることを発表すると、
「そんなこと気付いたこともない」「考えてみたこともなかった」と全員にビックリされ、
(え!気になってたのってみんなも同じじゃなかったんだ!)という事実に、私は心底驚いたことを覚えています。
接客が苦手な雑貨屋店長
ファッションが好きだったこともあり、
卒業後は服飾雑貨店で働き始めます。
気にしいなくせに、苦手な接客業界へよく飛び込んだなと思います。笑
とにかく、誰に対しても自分は下という認識。
なので、同僚にも上司にもお客様にもとにかくビビっていました。
接客自体は10年勤めても苦手意識がとれず、
結局全然好きになれないままでしたね…。
今思えば流暢なしゃべりではないものの
笑顔でお客様の話をよく聞くのは得意だったし、
押し売りしないのを気に入ってくれ、
逆に信頼していつも買ってくれるという常連さんがけっこういました。
他にも、ディスプレイや販促を考えるのは好きで
スタッフ教育は上司からも褒めてもらっていました。
「店長がいたからここまで続けてこられた」
といったことも、頻繁に言ってもらえた言葉です。
お店には毎月売上予算があって、
それを達成すると一人ずつに予算達成金が出たんですよね。
それを渡すときに、私はスタッフ一人ひとり封筒に
- その子の担当アイテムの今月の予算費や頑張ってること
- その子のお店での立ち回りで助かっていること
などメッセージを書くと「こんな細かいところも見てもらえてたんですね!」と喜ばれ、毎回楽しみにしてくれていました。
たまたまそれを知った上司が
こんなことをしてる店長は初めて見た!
といたく感激してくれ、
私の結婚式のスピーチでも話してくださったことを覚えています。
私には私なりに長所や持ち味が十分あったのに、
私は常に自分が不完全、他の人より劣っている
という認識がぬぐえなかったんですよね。(なんてもったいない…)
ハキハキ誰とでも社交的に話せる人こそが接客業の鏡として、
まわりが認めてくれる自分の良さを
全然素直に認められなかったというか、
外にばかり目が向いていたなと思います。
正解や人の目を気にする〇〇ちゃんママとしての自分と、長女の行きしぶり
長女の出産とともに雑貨店を退職し専業主婦に。
私の中で娘を保育園に入れるという選択肢はありませんでした。
自分の母親が専業主婦だったことと
子どもがもう一人ほしかったので、
自分の年齢も考えると、働いてもすぐに産休に入らないといけない。
それに、つわりなどの体調不良で
職場の人に迷惑をかけたり、ヘルプを自分で探す
そんな場面を考えるだけでも胃が痛くなったんですよね。
(自分が店長職をしていたので、シフト調整の大変さは身にしみていた)
ですが、当時の私立幼稚園代を払うには、
今の家計だとちょっぴり不安。
そういうわけで
何か家で収入を得る術は?と考えブログを始めました。
独学でしたがアフィリエイトや広告などで
収益は順調に伸びていきました。
ですが、たまに入るネガティブコメントに
しばらく立ち直れないなんてこともよくありました。
何を書くかもわからなくなったり、
コメントの通知がくるたびにネガティブなものじゃないかとビクビクしてましたね。笑
(今でもコメントやメールを開封する時はドキドキします…)
次女が生まれ長女が年中になった頃から、
長女の幼稚園行きしぶりが始まりました。
お友達ともうまくやっている様子だし、
他にもトラブルといったトラブルもない。
次女が生まれたせいで不安定になってるのかな?
とその時は考えていました。
ですが、行きしぶりは年長になっても続き、
園バスにも乗らず毎日幼稚園まで送り迎えの日々。
理由がはっきりしないし、
次女を抱っこしての送り迎えなので私もイライラ。
それを長女にもぶつけていました。
「お母さんを困らせたいの?」と。
一方、ママ友関係はというと
相変わらずビクビクとまわりの顔色を窺い
自分の主張もせず人の意見に合わせてばかりでした。
着る服、ふるまいすら見失っている状態。
今思えば思いっきりマウントをとられているような関係性もありました。
誰からも嫌われないってやっぱり無理ですよね。笑
八方美人だったからこそ、
トラブルに巻き込まれたことも…。
そのせいもあって、
ママ友づきあいへの警戒心は未だに残っています。
長女の不登校で悲劇の母 円形脱毛の暗黒期
長女が小学校へ入学。
几帳面で聞き分けのいい娘は、
学校生活にも授業にもすぐになじめたように見えました。
ところが2学期から
「お腹が痛い」「足が痛い」「頭が痛い」
などと体調不良を訴えて、ちょくちょく休むようになります。(特に月曜日)
私はその訴えの表面的なものだけを見て、
休ませたり小児科へ行ったり薬を飲ませたり
「じゃあ次の日は行けるよね」といった対応をしました。
心の中では
「また幼稚園の時みたいになったらどうしよう」
と、長女のSOSを見てみぬふりをしていたと思います。
普通じゃなくなるのがこわいという恐怖が
漠然とあったんだと思います。
そして、コロナが本格化し始めた2020年春。
長女の微熱が何日も続くようになります。
元々平熱は高い方で
子どもは37.5までは熱とは判断しないとそれまでは言われていたものの、
コロナ情勢もあって
微熱でも休ませないといけなかったんですよね。
結局2週間近く学校を休むことになり、
復帰してからも授業にはついて行けず。
休み中のプリント消化で、
小2で新しいクラスになった友達と話して距離を縮める時間もない。さらに、居残り補習。
娘の行きしぶりはどんどんひどくなり
毎朝お腹が痛くなる、
家から出られたとしても途中から涙が流れて足が進まなくなりUターンという日々。
小2の1学期、ついにまったく学校へ行けなくなってしまいました。
長女の不登校の始まりです。
その時の私は、超常識人。
というか、常識や普通にならわないと自分を保てない。
みんなが普通に学校へ行っている中、
自分の娘は一日中家にいる。
【不登校の親】
それをまったく受け入れることができませんでした。
「なんで行かないの?」
「お母さん何か悪いことした?」
「みんなだって頑張って行ってるでしょ」
今思い出しても、長女にはひどいことばかり言ったと思います。
完全に自分が被害者で、
「なんでこんな思いをしなくちゃいけないの?」
と、長女にうらみの感情さえあったかもしれません。
ごはんの時間だけ降りてきて
2人きり無言で食べる。
それ以外は勉強のせずゲームばかり。
私は怒りばかりが込み上げていました。
外からはよその子たちの元気な声。
一方、長女はずっと部屋に閉じこもっている。
当下校時刻が一番つらい時間でした。
不登校になるなんて、
よい母親じゃないと責められているような気がしたし、
先生にも対応をしてもらって
手紙を届けてくれるクラスの子達にも
すごく迷惑をかけているような気がする。
私は娘を責めながら
自分のこともずっと責めていました。
ものすごくいい天気の青空の下、
ゴミを出しに行くだけでも目から涙がずっとあふれて止まりません。
我が家は不幸のどん底で、ご近所さんとはまるっきり違う世界にいるよう。
長女も
「私はだめな奴だ」
「みんなができていることができない」
と自分を責め、家の中でも居場所を失っていたと思います。
あの頃の長女は鬱だったかもしれません。
毎日ナイフを持った人が
家に入ってくるという悪夢にうなされ、
スーパーや近所を歩くだけでも
知らない人が襲ってきそうでこわいと怯えていました。
それでも私はまだ
「みんなだってしんどいことはある。
でも頑張って行ってるんだよ!
経験していって強くなるんだよ」
と根性論をふりかざしていたんです。
それはそのまま長年自分へも頭の中でくり返し投げていた言葉でした。
思えば、幼稚園へ通っていた次女も、
家の中のただならぬ雰囲気にいろいろ察して
しんどい思いをしてただろうと思います。
気付けば私の頭には500玉大ほどの円形脱毛が2箇所できていました。
長年の呪いが溶け始める ただ自分でいればよかった
自分責めをくり返す長女と向き合うにつれ訪れた気付き
相変わらず変化のない不登校生活は続いていました。
一つ救いだったのは、
夫が娘に対して変わらぬ接し方をしてくれたことです。
とにかく夫には不登校にはふれず
今まで通りにやさしく接してほしいとお願いしていたんです。
夫を始め、実親、義両親ともに
「ちゃんと学校行かせないと」
とプレッシャーをかけてくることなく
「絶対に〇〇ちゃんは大丈夫だから」と
見守ってくれていたのが今思い出しても本当にありがたかったです。
そんな中、私は不登校関連の本をたくさん読み漁っていました。
ある日、本屋さんで目に止まった一冊の本。
【HSC(人一倍敏感な子)の子育て ハッピーアドバイス】
表紙に惹かれるものを感じて、中をパラパラめくってみたら
「どこからか見てたの?」
というくらい、長女そのものが書かれていたんです!
そうか、いい悪いではなく、
根性のあるなしでもなく、人一倍敏感な子という気質だったのかと。
と同時に、こうして本で並んでるのだから
長女は何にも変わってないんだ!と思ったんですよね。
私にとってそれはかなりの衝撃でした。
自分たちだけが悩んで
自分たちだけが暗黒の世界にいたと思っていたのに、
別にめずらしいものでも、悪いことでもなかったんだ!と。
それまでの長女の行きしぶりが、
パズルのピースがはまるように腑に落ちていきました。
人の表情の変化が気になる。
常に失敗しないように立ち回る。
誰かが怒られていても
自分が怒られたかのようにダメージを受ける。
教室のライトに照らされるノートが
白く反射してとても疲れる。
上靴の冷たい感じが気になる。
忘れ物をするのがこわい。
授業に予定変更があると頭がパニクる。
誰かが消しゴムを遠くて落としたり
宿題の提出を忘れたりしていたら
大丈夫だろうかとすごく気になる。
1日学校で過ごすだけでも
集団生活による刺激でキャパオーバーになるんですね。
そつなく動けているように見えて
実は人知れずものすごいパワーを消費して疲弊しきっていたんです。
だから、幼稚園の頃も
トラブルといったトラブルはないのに
朝に起き上がれる登園しぶりも多かったんだなぁと。
なんて、自分は長女に
かわいそうなことをしてきたんだろうと
とてもとても申し訳ない気持ちになりました。
(傷つけた分一生かけて償っていきたいと思ってると長女には伝えてます)
その本のHSC(HSP)のチェック内容は
私にもぴったり当てはまることがとても多く、
自分の気にしいもただの気質なのかも…と思うようになったんです。
さらに
寄り添ってくれる学校の先生方、
ベテランのスクールカウンセラーさんとともに
長女のことに向き合っていくにつれ
それぞれ人間には気質、得手不得手があるだけ
そこに優劣やいい悪いはない
ということがわかってきました。
長女のそのままを認めてもらえる様を見て、
私自身も救われていくような思いがしました。
そして、カウンセラーさんのすすめで
専門の病院で受けた3時間を要す心理検査では
長女の特性がしっかり数字を元にして診断が出ました。
- 言語能力・理解力が高い
- 反対に短時間での複数作業、予測、応用が苦手
- 時間をかけるとクオリティ高く仕上げることができる
- 1の情報から10を受け取る
- 外からはそつなくこなしているように見えるので、疲弊してることが気付かれにくい
どれも今まで長女を育ててきた中で、
納得するものばかりでした。
そして、心理士さんがやさしく穏やかな声で
なおさなくちゃいけないものではなくて、
自分のことをよく知っていた方が
じゃあどういう風にやっていこうかなって
打つ手が増えるからいいよねってことなんです😊
と、私たち親子に話してくださったんです。
他の誰かになろうとしなくていいのか。
自分のことを知り、活かせばいいのか。
娘は娘のままで、私は私のままでいいんだ
視界がクリアになったような感じがして
目がカァっと熱くなり涙がにじみました。
大げさじゃなく
今までグレーだった世界に色がついた気がしました。
それからは私も長女も少しずつ
自分を否定せず受け入れられるようになっていったんです。
家族、友達、たくさんの方の支援があり
長女は保健室登校、短時間登校を経て
今は毎日学校へ行っています。
まだしんどい部分もありますが
自分の気質も考え対策し、無理をすることも少なくなりました。
エネルギー回復のため
娘自身が考え放課後遊びなどもセーブしています。
しっくりくる言葉を見つけるのは難しいですが
長女が不登校になってくれてよかった
心からそう思います。
私は決して被害者でも劣等生でもない。
環境や人が自分を苦しめることはないんだと腑に落ちたんです。
気にしいだって楽しく生きていいじゃない
家族、友達、たくさんの方の支援があり
長女は小3で30分ほどの保健室登校、
小4で1日2〜3時間の短時間登校を経て、
小5になった今は、なんと!毎日学校へ行っています。
まだしんどい部分もありますが、
自分の気質もふまえ対策し、無理をすることも少なくなりました。
しっくりくる言葉を見つけるのは難しいですが、
長女が不登校になってくれてよかった
と心から思います。
親子ともにとても苦しかったけど、
だからこそ娘や私を苦しめていたたくさんの
「私はダメだ」「こうすべき」「こうあるべき」から開放されることができました。
自分をひとまずそのままOKしたら、
気にしいな自分も愛おしく思えるようになったんですよね。何が悪いんだ、と。笑
それからは心理学や脳の仕組みを勉強し、
自分の心とも深く向き合いました。
今では自分責めで心をすり減らすこともありません。
わたしの思い
これまでの経験から、いま私は
- なりふりかまわず動けない、真面目
- あちこちに気を使い心が疲弊しがち
- まわりを優先するが本当は心の中がじゅくじゅくしている
- パワフルに動けない意気地のない自分がイヤ
- 自己啓発本を読んでも、ずっと何かが欠けてる気がする
- 子供や夫など環境で言い訳をしている自分に実は気付いている
- いまいち目に見えた変化がない自分をどこか負い目に感じている
と、毎日モヤモヤしている気にしいさんが
- 外的なものにとらわれず自分の中にブレない土台をもつ
- 自分責めのループを断ち切り自信が持てるようになる
- 自分が人生の舵をとっていると実感しながら毎日を楽しんでいる
といった軽やかな毎日になるためのサポートをしています。
「自分大好き気にしいさん」が一人でも増えるなら
こんなに嬉しいことはありません😊
なぜHSP(特に敏感な人)を前面に打ち出さず、「気にしいさん」?
わたし自身、カテゴライズ迷子でどこにも属してはいけないような感覚をもっていたからです。
「繊細さん」「HSP」といった言葉は最近ではよく聞かれるようになりましたが、
自分に甘いだけじゃないの?
自称HSPって多いよね
といった印象をもつ人も多くいます。
それに、わたしの場合でいうと
- HSPチェックにほとんど当てはまるけど、子どものときから繊細と言われていたわけじゃない
- 人混みは疲れるけど行けないこともないんだよな
- でもとても些細なことで感動し涙が出たりするし、反対に信じられないくらい疲弊するときもある
- こんな私がHSPというと、それこそ自称HSPの面倒くさい人だと思われそう…
といった恐怖心もあるんですよね。
日常生活では自分がHSPだと人に話すことはありませんし、一見わりと誰とでも良好に関係を築ける社交的な人だと思われています。(人知れず疲弊しまくっている…)
なので、ご縁で私と出会ってくださった、「HSPかはわからないし、自分が気にしいかもわからない。でも人の目が気になるし、自分をOKできなくて何か生き辛い…」という方には、両手いっぱい広げて超ウェルカムでお迎えしたいんです。
私がブログで、メルマガで、SNSで、講座で大事にしているのは、安心安全を感じてもらうこと。
もしあなたが
わたしの物語や言葉に共感していただけたとしたら、
拒絶されることのない、白黒つける必要も迫られない安心感をもって、これからぜひブログやメルマガを楽しんでいただければ、本当に嬉しく思います。
ただいまメルマガ登録特典として、【〜頑固にかくれた本音を発掘〜夢リスト100 WORKBOOK】をプレゼント中です。
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