今日住むところに困っているわけじゃない。
欲しい服をほしいだけ買えるわけじゃないけど、
よーく吟味して納得がいったら
たまには「えい!」と買うこともある。
スーパーへ行けば、お肉の値段に
「うーん、148円か〜。
ハンバーグ作ろうと思ってたけど、今日は安くない…」
なんて悩んでたくせに、
美味しそうな198円のチョコのお菓子を
「美味しそう!」なんてカゴに入れる。
言うことを聞かなくて
ホトホト困り果てる時もあるけれど、
我が子は世界一かわいいし、
気が利く方ではないけど
気にしいで変なところ完璧主義なところがある自分と、
うまくバランスとってくれる夫もいる。
確実に、不幸ではない。むしろ絶対に幸せ。
なのに、
ふと自分の無価値感にさいなまれる
そんなことってありませんか?
たぶん、一生そんな瞬間がやってくることを
なしにはできないかなーなんて予感がするんですけど、
その「無価値感」について先日思ったことを、
シェアしたくなったのでここに書きますね。
人の価値は変わるものなのか
突然なんですけど、
私、次女の腕がとても好きなんです。
長女はかなり細身なんですけど
次女は普通体型?なんで、
5歳の今も長女の時より
幼児っぽさが残っているんですよね。
メルちゃん人形みたいな
ヒジから手首の間の丸みがある感じ。
触るともう極上のふわふわ。
私があまりに好きなものだから
次女は「はい」と得意げな顔で、
腕まくりした両手を私に前に差し出してきます。笑
ふわふわなのは腕だけじゃなくて。
夜眠ってから次女の手のひらをフニフニと触る。
ふっくら暖かくて小さくて。
何だか尊くて涙腺にくることもあります。
で、ふと思ったんです。
人の価値は変わるのか?って。
長女と次女がそれぞれ生まれてきたとき、
私は嬉しくて涙があふれました。
赤ちゃんは泣いて訴えるだけで、
本当にじぶんではなーんにもできない生きもの。
だけど、その生命は
誰が何といおうと価値がある。
それが大人になっていって、
価値が上がったり下がったりする?
長女が学校行けるか行けないか、
勉強できるかできないかで変わる?
次女の腕や手がフニフニじゃなくなったら?
そんなわけない。変わるわけがない。
なのに、
家の中がごったがえしている上に
子どもがギャーギャー
自分のバイオリズムの波とも重なり
思わず怒鳴ってしまった時。
まわりの人は子育てしながら
投稿もちゃんとできているのに
自分は何の作業も進まず終わっちゃった時。
毎日、子ども見てごはん作って
あれこれ考えクタクタに動いても
稼ぎの柱は夫なのだから
表立って労われることもないな…と思った時。
自分も価値ある存在であることを
忘れてしまって、
魔が差したように
自分の「無価値感」に消えたくなる時がある。
そう…、ついつい忘れちゃうんですよね。
【価値ある存在】であることはただの事実
あなたも私も【価値ある存在】です。
これはぜーんぜん
ポジティブシンキングとかでもなくって。
地球が丸いくらいの
ただただ当たり前の事実として。
私やあなたがどう思っているとかは
まーーったく関係ないこと。
私はじぶんの思考のクセや
脳の仕組みなんかを知ったことで
自分をやたらと否定したりはしなくなったのに、
それまでの自己否定キャリアが
相当に長かったもので(笑)
今でもふと顔を出す時があります。
私も、あなたも
やさしい心だけでいられなくても、
効率的に動けずどんくさくても、
たくさん収入がなくても、
お腹や太ももに余計なお肉がついてても、
自分がどんな自分であっても
価値ある存在なんだということ
少しだけ思い出しましょう。
私は自分の子どもたちにも
ずっとそう思っていてほしいなーと思います。
先日、友人に子どもが生まれて
なおのこと強く思います。
陳腐な表現しか思いつかないけど
写真を見るだけでも本当に尊い…涙
私もあなたもそうやって
この世に生まれてきて、
昔も大人になった今も変わらず
愛される存在。
そんな「価値ある」自分として
毎日を過ごせたらいいですよね。
うーん、毎日は無理でもたまにちゃんと思い出して^^
おわりに
私が何か悟ったとかじゃなく
上からものをいう立場とかまったくなく、
ただあなたはどんなあなたでも
尊く価値ある存在だー!
と今読んでくださっている
私と同じようなあなたに伝えたくて
書きました。
自戒を込めて^^
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